江戸時代前期の俳諧師。伊賀国阿拝郡(現在の三重県伊賀市)出身。
幼名は金作。通称は甚七郎、甚四郎。名は忠右衛門、のち宗房(むねふさ)。
俳号としては初め宗房(そうぼう)を称し、次いで桃青(とうせい)、芭蕉(はせを)と改めた。
和歌の余興の言捨ての滑稽から始まり、滑稽や諧謔を主としていた俳諧を、蕉風と呼ばれる芸術性の極めて高い句風として確立し、後世では俳聖として世界的にも知られる、日本史上最高の俳諧師の一人である。ただし芭蕉自身は発句(俳句)より俳諧(連句)を好んだ。
元禄2年3月27日(1689年5月16日)に弟子の河合曾良を伴い江戸を発ち、東北から北陸を経て美濃国の大垣までを巡った旅を記した紀行文『おくのほそ道』が特に有名である。