流し読む冒頭
流し読み(ながしよみ)とは集中して読むのではなく、力を抜いて軽く読むさま。読み流すさま。
博士の愛した数式
彼のことを、私と息子は博士と呼んだ。
そして博士は息子を、ルートと呼んだ。
息子の頭のてっぺんが、ルート記号のように平らだったからだ。
雁
古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している。
舞姫
石炭をばはや積み果てつ。中等室の卓のほとりはいと静かにて、熾熱燈(シネツトウ)の光の晴れがましきも徒なり。今宵は夜毎にこゝに集ひ来る骨牌仲間も「ホテル」に宿りて、舟に残れるは余一人のみなれば。
夜明け前
木曽路はすべて山の中である。あるところは岨(ソバ)づたいに行く崖の道でり、あるところは数十間の深さに臨む木曽川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。
銀河鉄道の夜
「ではみなさんは、そういうふうに川だと云われたり、乳の流れたあとだと云われたりしていたこのぼんやりと白いものがほんとうは何かご承知ですか。」
吾輩は猫である
吾輩は猫である。名前はまだない。どこで生まれたか頓と見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。
放浪記
十月×日
一尺四方の四角な天窓を眺めて、始めて紫色に澄んだ空を見た。
秋が来たんだ。コック部屋で御飯を食べながら私は遠い田舎の秋をどんなにか恋しく懐しく思った。秋はいゝな……。
野菊の墓
後の月という時分が来ると、どうも思わずにはいられない。幼い訳とは思うが何分にも忘れることができない。
なめとこ山の熊
なめとこ山の熊のことならおもしろい。なめとこ山は大きな山だ。淵沢川はなめとこ山から出て来る。
ゲティスバーグ演説
Four score and seven years ago our fathers brought forth on this continent, a new nation, conceived in Liberty, and dedicated to the proposition that all men are created equal.
( 87年前、我々の父祖はこのアメリカ大陸に、自由の精神にはぐくまれ、すべての人は平等につくられているという信条に献げられた新しい国家を誕生させました。 )
一房の葡萄
僕は小さい時に絵を描くことが好きでした。僕の通っていた学校は横浜の山の手という所にありましたが、そこいらは西洋人ばかり住んでいる町で、僕の学校も教師は西洋人ばかりでした。
檸檬
えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧えつけていた。焦燥と云おうか、嫌悪と云おうか― 酒を飲んだあとに宿酔(フツカヨイ)があるように、酒を毎日飲んでいると宿酔に相当した時期がやって来る。
文鳥
十月早稲田に移る。伽藍の様な書斎に只一人、片附けた顔を頬杖で支えていると、三重吉が来て、鳥を飼いなさいと云う。
壁
目を覚ましました。朝、目を覚ますということは、いつもあることで、別に変ったことではありません。しかし、何が変なのでしょう? 何かしら変なのです。
刺青
それはまだ人々が「愚」と云う貴い徳を持って居て、世の中が今のように激しく軋(キシ)み合わない時分であった。
罪と罰
- ジャンル
- 小説
- 作者
- フョードル・ドストエフスキー
七月はじめの酷暑のころのある日の夕暮れ近く、一人の青年が、小部屋を借りているS横町のある建物の門をふらりと出て、思いまようらしく、のろのろと、K橋のほうへ歩きだした。
平凡
私は今年三十九になる。人世五十が通相場なら、まだ今日明日穴へ入ろうとも思わぬが、しかし未来は長いようでも短いものだ。過去って了えば実に呆気ない。まだまだと云ってる中にいつしか此世の隙が明いて、もうおさらばという時節が来る。其時になって幾ら足掻いたって藻掻いたって追付かない。覚悟をするなら今の中だ。
永訣の朝
けふのうちに
とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ
(あめゆじゆとてちてけんじや)
紫式部日記
秋のけはひ入り立つままに、土御門殿(ツチミカドデン)のありさま、いはむかたなくをかし。
セロ弾きのゴーシュ
ゴーシュは町の活動写真館でセロを弾く係りでした。けれどもあんまり上手でないという評判でした。上手でないどころではなく実は仲間の楽手のなかではいちばん下手でしたから、いつでも楽長にいじめられるのでした。