四里の道は長かった。その間に青縞の市の立つ羽生の町があった。田圃にはげんげが咲き豪家の垣からは八重桜が散りこぼれた。赤い蹴出(ケダシ)を出した田舎の姐さんがおりおり通った。
日本の小説家。群馬県(当時は栃木県)生まれ。 本名、録弥(ろくや)。
6歳で父を失い、貧困の中で育つ。
1891(明治24)年に尾崎紅葉を訪ね、江見水蔭を知り、彼の指導で小説を書き始める。 後に国木田独歩、柳田國男らと交わる。
1907年、女弟子との関係を露骨に告白した『蒲団』が文壇に異常な衝撃を与え、自らの地歩を確実にするとともに、自然主義文学の方向性を決定した。
以後『生』『妻』『縁』等の長編を次々と発表。
紀行文にも優れたものがある。