幕末から明治期の日本の啓蒙思想家、教育家。
諱は範(はん)。字は子圍(しい)。揮毫の落款印は「明治卅弐年後之福翁」。
雅号は、三十一谷人(さんじゅういっこくじん)。
慶應義塾の創設者。
慶應義塾(旧蘭学塾、現慶應義塾大学はじめ系列校)の他にも、商法講習所(現一橋大学)、神戸商業講習所(現神戸商業高校)、北里柴三郎の「伝染病研究所」(現東京大学医科学研究所)、「土筆ヶ岡養生園」(現東京大学医科学研究所附属病院)の創設にも尽力した。
新聞『時事新報』の創刊者でもある。
東京学士会院(現日本学士院)初代会長を務めた。
そうした業績を基に「明治六大教育家」として列される。
昭和59年(1984年)11月1日発行分から日本銀行券一万円紙幣(D号券、E号券)表面の肖像に採用されている。