小田原熱海あたみ間に、軽便鉄道敷設ふせつの工事が始まったのは、良平りょうへいの八つの年だった。良平は毎日村外はずれへ、その工事を見物に行った。 工事を――といったところが、唯ただトロッコで土を運搬する――それが面白さに見に行ったのである。
日本の小説家。 号は澄江堂主人(ちょうこうどうしゅじん)、俳号は我鬼(がき)。 東京出身。
東京帝大英文科卒。 在学中から創作を始め、短編「鼻」が夏目漱石の激賞を受ける。
その後、今昔物語などから材を取った王朝もの「羅生門」「芋粥」「藪の中」、中国の説話によった童話「杜子春」などを次々と発表、大正文壇の寵児となる。
西欧の短編小説の手法・様式を完全に身に付け、東西の文献資料に材を仰ぎながら、自身の主題を見事に小説化した傑作を多数発表。
1925(大正14)年頃より体調がすぐれず、「唯ぼんやりした不安」のなか、薬物自殺。
「歯車」「或阿呆の一生」などの遺稿が遺された。