飛鳥時代から奈良時代にかけての貴族。名は安麻呂とも記される。姓は朝臣。
『和州五郡神社神名帳大略註解』巻4補闕に所収されている、久安5年(1149年)謹上の「多神宮注進状」によれば、小錦下・多品治の子とされる。
官位は従四位下・民部卿、贈従三位。
現存する日本最古の歴史書である『古事記』を編纂した人物。
平城遷都を行った元明天皇の時代に、文官として平城京左京(現奈良市)に住んでいました。
長年、その実在を疑問視する見解もありましたが、昭和54年に奈良市此瀬町にて墓が発見され、実在の人物であることが明らかになりました。